| 4月上旬の日曜日私たち二人は残雪を楽しみながら大山の夏道を登っていました。
無風、快晴で例年よりも多い残雪は適度に締まって登山の条件は最高でした。
雪山の経験が少ない同行者にはアイゼンを付けさせ、私はキックステップで快調に高度を稼ぎ, 頂上につきました。
小休止の後に 当然のように縦走路に入ったのです。 この後大変な目にあうとも知らずに。
ラクダの背を過ぎたあたりにその人はいました。
ビジネスマンが上着を脱いだスタイルで、足元を見ると何と紳士靴をはいているのです。
小さなナップザックを背負い、太い枯れ枝を手に、 名にしおう大山のナイフリッジを這うように歩いていました。
私はあっけにとられて言葉が出ませんでした。引き返せる場所ではないし、 考えたが良い考えは浮かびません。
私のアイゼンはザックの中にあるけれど、あの紳士靴にはとても付けられないだろうし。
あいにくこの日はザイルもありませんでした。
大丈夫ですか?と声をかけたが返事は無いというより、答えないつもりのようでした。
仕方なく我々はおじさんの脇をすり抜けて、前に出ました。
私は黙っておじさんの為にピッケルをふるいステップを切りました。何度も何度もステップを切りました。
おじさんは必死の形相でついてきました。
それから数時間の悪戦苦闘のすえ、なんとおじさんは滑落する事も無く、元谷まで無事におりてきたのです。
安全な場所までおりると、おじさんは顔をクシャクシャにしながら
「いやー何度も死ぬかと思いました、 あー・・・・・ほんとに怖かった!」
と言いながら ナップザックから背広の上着を出して着ると、 「カラ」になったナップザックをポケットに入れスタコラと
山を下っていってしまったのです。
エーッ! 私たち二人は声も無くボーゼンと見送ったのであります。
20代後半の私にはずいぶんと年に見えたけれども、40代半ばだったかとおもいます。
お名前も住所もわからないが今も元気でお過ごしだろうか、春になると思い出す忘れ得ない人です。 |